2022年5月7日、オンラインイベント「先生集合!学校でできるアライアクションって?」を開催しました。ReBitでははじめての挑戦となる、現役教職員限定のイベントです。当日は約20人の皆様にご参加いただきました。この記事では、イベント内で実施したReBitメンバーによるトークセッションをダイジェストでお送りします。 ーーー10年以上授業・研修をしてきて、現場で感じる子どもたち・先生たちの反応にもかなり変化がありました。 設立当時は、まだまだ「LGBTQ」という言葉も浸透しておらず、それが人権に関わる話だ、子どもたちに関わる話だ、という認識もない時代でした。「性的な話は教育の場にふさわしくない」「うちの学校にそんな子はいません(だから必要ありません)」といわれてしまうこともありました。 それに対して今は、先生たちが「自分の学校にもLGBTQの子どもたちがいるかもしれない」という前提で、「何ができるだろうか」と主体的に取り組もうとしてくださっている感覚があります。 子どもたちも、「友達にカミングアウトされたことがある」「応援しているYouTuberがカミングアウトしていた」など、LGBTQの存在が身近になっている印象があります。 ーーー授業・研修の中ではどんなことを大切にしていますか? まず「人肌の温度で伝える」ということです。LGBTQに対して、「テレビの中の人」といった固定的な見方ではなく、「どこにでもいる」「LGBTQの中にも様々な人がいる」というリアルさに気づいてほしいので、等身大の姿を伝えるようにしています。もう一つ、LGBTQというテーマを「他人事」ではなく「自分事」にする、という意味もあります。「自分も多様な中の一人なんだ」と意識してもらうことを大切にしています。 次に「多様な性から多様性へ」ということです。「多様な性」という言葉に関していうと、「LGBTQについて学習しましょう」だとLGBTQではない人にとってはなんとなく距離があったり、自分には関係ないと感じてしまったり、「〜してあげる・〜してもらう」という関係性になってしまったりします。「多様な性」だとシスジェンダー・ヘテロセクシュアル(性別に違和感がなく、異性をすきになる)も一つのセクシュアリティ(性のあり方)なんだということがわかるので、その場にいるすべての人を包摂できるようにこの言葉づかいにしています。 そして授業・研修は「多様な性」という入口から「多様性」という出口につながるつくりになっています。仮にセクシュアリティがマジョリティだったとしても、他の部分でマイノリティ性をもっている人もいますし、逆にLGBTQの人であったとしても、マイノリティであるだけではない場合もあります。そのような人の多面性を自覚することによって、自分の中にある多様性を受け入れやすくなったり、他の人のことを尊重しやすくなったりするのではないかと期待しています。 最後に、「授業の先も意識する」ということです。ReBitがうかがった後も子どもたちの学校生活はつづくし、そこにいるのは先生だったり友達だったり保護者だったりするわけなので、今後も安心してすごすことができる環境をどうつくるか、というのが課題です。 ーーーそのためにはReBitが授業をするだけではなく、先生が授業をしてくれることの意義も大きいですよね。 そうですね。ReBitではAlly Teacher’s Tool Kitという教材キットを制作しています。そういったものを活用しながら、自分で授業をするというチャレンジをしてくれる先生もいて、とてもうれしいです。身近な大人の一人である先生が授業をしてくれたら、エンパワメントにもなるのではないでしょうか。 ーーー一方で、実践されている先生たちからは、「(LGBTQではない自分が)人肌の温度で伝えるってどうすればいいんだろう」という声がよせられることもあります。 あらゆる人がロールモデルになれると信じています。もちろんLGBTQの人たちの生の声も重要ですが、アライ(LGBTQの理解者・支援者・味方)の人たちの経験を参考にしたいという人もいるはずです。 ReBitの講師の中には、LGBTQの人たちもアライの人たちもいますが、共通しているのは、「なぜ自分がここで話をしているのか」を重視している点です。先生たち自身がなぜこの授業をしているのか、どのようにアライになっていったのか、というジャーニー(旅路)を話していただくと、人肌の温度になるのではないでしょうか。 ある調査では、人がアライになるための重要な要素として、LGBTQの人たちの生の声から困難を実感することとともに、アライのロールモデルの存在があげられています。LGBTQの先生たちもそれを勤務先で開示しているかどうかは人によるので、自分のセクシュアリティを話題にしたくない場合にはアライの立場から話をすることができるし、それにも十分意味があるということですね。 ーーーところで、多様性について話をする際には、このようなスライドを使用していますよね。これは授業のどのタイミングで、どのように提示するものなのでしょうか。 ReBitの授業は大きく前後半にわかれます。前半では多様な性に関する基礎知識と講師のライフストーリーを、後半ではワークをまじえながら多様性について取り上げます。このスライドは、そのワークの一つです。 まず講師が、この吹き出しにあてはまるものをいくつかピックアップして、「自分はこういう要素をもっています」と説明します。たとえば私はトランスジェンダーなのですが、ライフストーリーだけでは「トランスジェンダーの人」というふうにセクシュアリティにばかり目がいってしまうかもしれません。しかしこのスライドによって、「トランスジェンダーであるだけではないんだな」ということが実感しやすくなります。人の多面性に気づいてもらうための時間です。 実際にこのワークをするときには、子どもたちに書き出させたり発表させたりすることはありません。場の安全を担保するため、あくまでも「一人で」「心の中で」取り組んでもらいます。あたりまえですが強制はしません。 ーーー吹き出しのスライドにあった要素の関係性をあらわしたのがこちらの氷山モデルですね。 はい。何を誰にどこまで伝えるかは人によって異なります。たとえば漢字の読み書きが苦手なことを周囲にいっている人は、「得意不得意」が氷山の上の方に来ますが、苦手なことをさとられてはいけないとがんばっている人だったら、「得意不得意」は氷山の下の方に位置するわけです。もっている要素も多様だし、それをどの程度オープンにしているかも多様だし、どれがいいとかよくないとかいうことではないんだよ、と最後に伝えています。 ーーーこれって、カミングアウトをうける側の子どもたちにとっても大事な情報ですよね。 ある調査では、小学生から高校生の間にカミングアウトした相手は同級生がほとんどなんですよね。同級生からカミングアウトをうけたその子が、LGBTQについての知識をどれだけもっているかも大切ですが、もし知識がなかったとしても、「自分が他の人にいっていない大事なこと」に置き換えれば、相手がどんな心境か、じゃあ自分はどんな反応をしようか、などが想像しやすくなるかもしれません。 後編につづく ライター:認定NPO法人ReBit