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アライ先生インタビュー(8)「ひきこもっていた」若者の社会参加を支援する中で、「多様な性」に向き合い、次世代につなぐ(前編)

綿貫公平さん 法政大学・東京経済大学 非常勤講師

(2021.09.14)
 

綿貫公平さん
法政大学・東京経済大学 非常勤講師

大学卒業後、東京都公立中学校教諭として35年間勤務。2007年からは法政大学非常勤講師として進路に関する教育や教職入門、2012年からは東京経済大学等の非常勤講師として教職課程の講義、教育実習を担当し、後進の指導を続ける。その一方で、生きづらさゆえにひきこもってしまった若者たちの社会参加への支援を続ける認定NPO「文化学習協同ネットワーク」の理事としても活動。

 

生きづらさゆえにひきこもってしまった若者たち

 

東京都の公立中学校で美術教師として35年間勤務。退職後、法政大学をはじめ、早稲田大学、東京都立大学などで講師を務め、後進を指導し続けてきた綿貫先生。その一方で、生きづらさゆえにひきこもってしまった若者たちの社会参加への支援を続けていることで知られています。綿貫先生が「多様な性」に深く関わるようになったのも、その活動がきっかけでした。

「学ぶ場も働く場も得られない若者たちが増えています。そんな若者たちの中に、LGBTQの人たちが含まれていることに気づいたのは、活動を始めてしばらくしてからでした」

自分のセクシュアリティに悩み、生きにくさを感じ不登校になったり、ひきこもりになったという人も、少なくありません。

「スタッフにだけカミングアウトしてくれていたある若者に、いつ頃から違和感を感じていたのかと尋ねたところ『保育園のころから』という答えが返ってきました。小学校のときにはすでに教室に入れず、廊下までしか行けなかったそうです。保健室登校どころか廊下登校です。そんな小さな頃から生きにくさを感じている人たちがいることに激しいショックを受けるとともに、教師として不作為の責任を感じ、力不足だったことを思い知りました」

35年間の教師生活の中で、今にして思えば「気になる存在」の生徒が少なからずいたそうですが、そのときはただ見守るしかできなかったそうです。

「現役の教員時代は性教育に関心を持ちながらも、LGBTQについての知識は乏しく、どう対応すれば良いのか分かりませんでした。またもし打ち明けられたとしても、その気持ちを受け止める度量は私にはなかったでしょう。だから、悩んでいた教え子たちに対して慙愧の念を持ち続けていました」

こうした苦い経験の積み重ねで、「多様な性」は、いつしか取り組むべき課題として綿貫先生の頭に意識づけられていきました。


 

ReBitとの運命的な出会いが、「多様な性」の授業に

 


そんな綿貫先生とReBitとの出会いは、2014年に行われた『LGBTってなんだろう?』(合同出版)の出版記念パーティーでした。

「合同出版の上野良治社長と古くからの知人だったことがきっかけでした。そこで藥師実芳さんをはじめとするReBitメンバーに初めてお会いしました」

それが縁で綿貫先生とReBitとの付き合いが始まりました。2014年から綿貫先生は自分が講師を務める大学などで、「多様な性」をテーマにした授業に取り組んでいます。

「当時、講師として勤務していた東京経済大学や法政大学、全国進路指導研究会などでReBitメンバーに出張授業をお願いしたのが始まりでした。年齢もあまり違わないメンバーが、自分の生い立ちから語る話は、学生たちにとっては衝撃的で、我がこととして捉えることを迫られる機会となりました。」

綿貫先生が当事者の生の声にこだわるのは特別なことでありません。

「公立中学校の教師時代も、広島の修学旅行へ行く際には被爆者の話を生徒とともに聞くようにしていました。杉並区の学校で定年退職を迎えたのですが、そのときは杉並区内に住む被爆者の方々にお話を依頼しました。ぼくたち教員が知識として被爆の実相や、伝聞として被爆経験を子どもたちに語ることはできますが、できることならばご本人(当事者)に語ってもらったほうが、子どもたちの心に響きます。『多様な性』を授業として取り上げるときに、ReBitに出張授業を依頼したのもその経験があったためです」

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