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松尾ゆみさん

NPO法人共生社会をつくる性的マイノリティ支援全国ネットワーク(共生ネット)
行政や教育機関で講師として登壇。

 

第9回「にじいろ子ども応援団」勉強会&交流会(前編)

 

子どもがカミングアウトしてくれたとき、大人には何ができるでしょうか?
もちろんカミングアウトの経験は一人一人異なるものですがだからこそ様々なケースの一つ一つから得られるヒントがあるはずです。
第9回にじいろ子ども応援団勉強会&交流会 では、「子どもからのカミングアウト〜~どう受け止め、どう向き合う?~」と題して、トランスジェンダーの子をもつ講師松尾ゆみさんのお話をうかがいました。

その様子をダイジェストでお送りします。

松尾さんの自己紹介
私は、主に行政や教育機関の研修したり、ハートをつなごう学校にも所属しております。
また、介護福祉士として介護の現場で働いております。
私にはトランスジェンダー男性の子供がおります。
今から13年前の子供が中学2年生の時にそのことがわかりました。
私は失敗ばかりしてしまった親なんです。
最近はよくメディアや SNS なんかでも当事者の方がカミングアウトをした時に「親御さんから素敵な言葉を投げかけてもらえた」ということも多くなってきました。
それに対して周りの人も「●●さんのお母さんです、素晴らしいですね」といった声を聞いたりする度に、私は心が痛くなっております。
今日私がお話しすることは私だけの体験であって他の誰とも比べることが出来ません。
どうぞ参考の一つとして聞いていただければと思います。




トランスジェンダーの子を持つ親として
ここから子供の話に入っていきます。
幼い頃、すごく可愛い女の子でした。
すごく可愛い女の子だって思っているのは私だけで、子供にとっては今も昔も変わらぬ可愛い男の子ということに変わりはないんだと思います。
小さい時は男のことばかり遊ぶヤンチャな女の子でした。
これはトランスジェンダー男性だからということではなく、たまたまうちの子供はそうでした。
よく女の子は、みんなで遊んでいるようなイメージがあったので、いつもいつも「女の子と遊びなさい」と言い聞かせていました。
そして小学校低学年の時、学校の先生にいつも一人で遊んでいると聞かされ、私はまた「やっぱりまだみんなの中に入れてないんだ」と思って「女の子と遊びなさい」と子供に言い続けました。
後々、「最初は男の子遊んでいたのにお母さんが『女の子と遊びなさい』って言うので遊んだけれど、そのうち、男の子にも入れてもらえなくなり、とうとうひとりぼっちになった」と本人は言っていました。

やがて中学生になり、男の子と殴り合いの喧嘩をして学校の用具を壊したり、近所でうちの子が女の子と付き合っていると噂になるようになりました。
私は一体どうなっているかわからなくて「あなたは女の子の気持ちで女の子が好きなの?」「あなたは男の子の気持ちで女の子が好きなの?」と何気なく聞いたんです。
すると「男の子の気持ちで女の子が好き」と答えたんです。
これが「カミングアウトをさせてしまう」ということになりました。
私は、初めてできた親友の好きを恋愛の好きと勘違いしていると思って、「違うんじゃないの?」「親友じゃないの?」と言ってしまっていたんです。
否定的な言葉を投げかけたつもりわかなったが、受け入れてもらえなかったと子供には思われたんですね。
また、養護の先生と仲が良かったので「ひょっとするとうちの子は性別違和でしょうか?」と相談したが、そうではないと言われ、その先生の言葉を信用しててしまいました。
この時、子供には何も聞いてなかったんですが、自分が選択したい言葉を選んでしまったかもしれないと今では思います。
この後は、子供は思春期に入り、何も話してくれなくなりました。
しかし、メールが大切なコミュニケーション手段になり、1年かけてやりとりをして、子供のセクシュアリティについて受け入れることができるようになりました。
そして、高校に入るタイミングで改名して男子として入学できるようにしようかと声をかけたが「あやふやなままでいい」と子供から言われたんです。
実は、この時は、親だけが性別違和についての知識があって子供には知識がない状態だったんです。
子供は生きていくこと自体にに悩んでいました。
この時、知識の差・知識の大切さに気づけなかったことが今の活動の原点となっています。

高校に進学となると、「自分の特技が活かせる学校がいいな」「自分のやりたい学科がある高校がいいな」など皆さんはいろんな思いで選ばれると思いますが、うちは「女子がズボンで通える学校」が選択基準でした。
男子に紛れて生活を送ることはできましたが、男子として扱われてトイレ問題や座席や出欠席などをはじめ困ることがありました。
この時一番大変だったのは先生をはじめとする大人への周知に苦労しました。
やがて、高校2年になると半年て体重が8キロ程子供の減りまして、息をするのも辛いほどだったので病院で検査を受けることになりました。
検査をする上で来院時間を遅くするなど病院の配慮がいろいろあって助りました。
検査の結果、異常はなかったんですが、原因は胸の膨らみを抑えるためのシャツを常に着ているからでした。
しかし、そのシャツを着ないで学校に行くことは難しいということでした。
ただただ、母親にできることはPTAの役員になって学校と子供の橋渡しをするなど毎日学校に行かせてあげることしかありませんでした。
その内、少しずつ担任の先生が配慮してくれるようになり、教科の先生が配慮してくれるようになり、学校が配慮してくれるようになりとなったのですが、ただ、本人が目立つ配慮ってどうなんでしょうか。
例えば、トイレに入れないことを理由に授業に遅刻してもいい、男子と体育の授業をやってもいいなどです。
このケースのように当事者にヒアリングがなされないまま、配慮がなされる場合があるので、ぜひ当事者にヒアリングしてほしいと思っています。
そんな苦しい中、子供がお願いを出してきました。
「男性名に改名したい」「男性名で卒業書がほしい」「治療して男性として生きたい」
この3つの願いをを受け入れた瞬間が自分の中で本当にカミングアウトを受け入れた瞬間だと思います。
そして、在籍中に改名をしたので男性名で卒業書と卒業アルバムがほしいと校長先生に伝えたんですが、もう発注済みと断られました。しかし他の先生が卒業証書だけはなんとか対応してくれました。
その後、高校の卒業のタイミングで校長先生が代わり、私たちに直接、高校3年間の不手際を謝罪して下さいました。
認識が変わるだけでこんなにも私たちの気持ちが楽になるものかと本当にありがたく思いましたし、子供も高校の3年間はとてもつらいものだったけれども無駄ではなかったと思えたと言っていました。

そして、高校卒業後トランスジェンダー難しそうだと考え、手に職をつけること、性別移行の治療のために時間が必要なことを念頭に、少人数制の専門学校へ通いました。
実習が必要だったのですが、知り合いの企業に事情を説明して依頼すると受け入れてもらえました。
しかし、ここでもトイレや着替えの問題をクリアするのは大変でした。
無事に研修を終えた後に「うちに就職しませんか?」と研修先の企業の役員から声がかかったんですが、念の為、子供の性別のことをご存知か聞くと、研修先の担当の好意で役員に伝えておらず、ご存知なかったとのことでした。
そして、後日、採用の話は取り消しになったのです。
これでうちの子供はもうダメになってしまうのかな。。。と思いました。
クローズドでもオープンでもどちらにしてもダメだったということでどうなるかと思いました。
しかしその時、子供が「自分も性別を気にせず職業を選択すること」を決意したんです。
私かこの時、明るい未来が見えた時に人は勇気が出たり力が出ると思っていたが、人は落ち込んだり辛い思いをした時にも前に向くことができるんだと子供の強さを知ったんです。
これはきっと辛い思いをしてきたからこその強さなんだろうなと思っています。

今までを振り返ると、行政の相談窓口に電話をかけたところ職員さんと保険師さんが一人の方と会わせてくれたことがとても重要な機会でした。
その方は地域の親の会をやられていたんですが、私がお会いするタイミングでちょうど辞めたところだったそうです。
私にとってこの出会いが本当に貴重な出会いになった。
この時の経験から今から6年前に地域でなないろほたるという団体を立ち上げました。
教育委員会との共同で講座をしたり男女共同参画センターと共催で交流会を開いたりなど地域の方や周囲の方を含めて誰もで来られる場を作ろうと思って開催しています。
最初にどんな情報を得てどんな人に繋がれるかがとても大事だと思っています。


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後半に続く

ライター:認定NPO法人ReBit